Note #8
いよいよ季節性の諸々で生活が覚束なくなって参りました。少し早い時間ではありますが今日は暖かくして休んでいます。
とは言っても、こうして身体が動いていないと頭の中だけが無駄に活発になってしまうといいますか。マウスが滑車を回す要領で答えのない堂々巡りを延々と繰り返しているような、そういう徒労感に襲われます。正直、身体を動かしているとき以上に摩耗していくので、体力が充分に戻ったら近所の全然知らん場所とか散策したいです。
具体的に何を考えこんでいたかというと「情報っていつ死ぬんだ?」みたいな話です。ざっくりserial experiments lainみたいな概念でもあり、「死後、偉業と共に生き続ける英雄」のようなレガシー的存在でもあり、大体そういう感じの話でした。
いわゆる「人の心の中で生き続ける」「肉体の死を超えこの世にあり続ける」みたいな在り方に強く焦がれた時期は自分の中でかなり長かったですが、今は全然そう思いません。肉体や意志といった主体性は失われたまま、他者の伝聞によってのみ維持される生存なんて正直碌なもんではなさそうですし。
ただ、この感覚はいつ如何なる場所であっても通用する普遍の真理ではないだろう、という確信もそれはそれであるんですよね。電子空間を通してありとあらゆる人々が情報を自由に書き残せる時代を生きているが故に、肉体の死を超えた生存はさほど魅力的にも神秘的にも映らなくなった。だからこそ今は…というだけの話であって。もしもそうした自由が許されない時代や国に生まれていたら、きっとこの限りではなかったと思われるので。
実際問題、そういった生への執着を完全に抜き去った上での「創作活動」とか「自己表現」って、一体どういう意味を持つのやら…というと、それもそれであまりピンとこない話です。ここに書き連ねている文章もそうですが、わざわざ形作って遺す理由は何かと問われれば、そういった生存本能のような欲求を全否定できるほど説得力のある動機が他にあるような気はあまりしません。
そしてこの話にオチはないです、すみません。本日もありがとうございました。