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 今日は絵を何も描きませんでしたが、歌詞を1つ書きました。歌唱はフリモメン想定、メロディはSynthV上で少しだけメモ。
それ以上はしばらく手を付けられそうにないのが残念です(次のお休みに行っておきたい美術展が3つある)
歩き回って少しでも体力が付くといいなと思います。


 今日もさまざま考え事をしていました(ただの癖です)。本日のテーマは「音楽と絵の違い」。昔そういう学校にいた頃、音楽科の先生は講義の冒頭でこのように説明されたような、というのをふと思い出しました。

「エロ漫画とかエロ小説ってあるけど、エロ音楽って無いだろ?」
(※歌詞のない器楽曲の話です)
「音楽ってのは抽象的かつ、絵画よりずっと保守的な芸術だろうね」

ちなみに美術(図学)の先生も同様の話をされたことがありました。その場合はどう説明されたかというと、一言で言うならこんな感じ。

「音楽は才能と早期教育(教養)の世界」
「絵は本質が誤魔化しだから、誰にでも描けてしまう」


この言葉だけ聞くといろんな意味でホンマかいなという話ではあります。なんでどっちも謙遜するんや…とも思います。音楽の世界にも斬新で挑戦的な音作りは古今東西いろいろあるはずで、ある程度保守的なお勉強や訓練がモノを言うのは絵の世界だってそうですし…

…と、思っていたこともあったのですが。

 例えば、絵や音楽に関する特別な教育を受けていない5歳児にクレヨンで絵を描かせたとして、出来上がる絵は決して写実的なものではないはずです。が、それでも絵の中に何が描かれているかを我々大人たちは何となく察することが可能なはずです。「これはお友達かな?」「お日様かな?」みたいな。何なら「こういう元気な絵はかわいくていいよね」まであると思います。
ただ、これがクレヨンの代わりにピアノだったら、と思うと…。多分ですが鍵盤に両手を勢いよく叩きつけて「ドーン!!ガーン!!ドギャァーン!!」という感じになるのではないかなと思います。本人は音が鳴って楽しそうにしていても、周りはたまったもんではないはず。デカくて無秩序な音というのは、どんなに元気がよくても絵と比べてはるかに不快感が勝るのではないかと。
その意味ではたしかに、絵は「誰にでも描けてしまう」と言えなくはない気がするし、音楽は「教養の世界」というのも納得できなくはないような…。

考え事はここで終わりです。以降、やや別の話ですが…
 昨今、音楽も絵も映像もやります的なマルチクリエイターは全然珍しくないと思うのですが、中でも「音楽+絵+映像」みたいに作れる方にはむちゃくちゃ憧れます(なんとなく、自分ではどんなに頑張っても「音楽」「絵」「映像」をそれぞれバラバラに作っているような気がするので)。
Note #11でも触れていた通り、自分の中でそれぞれの分野に対しては地球上の昼と夜、冬と夏みたいなイメージを持っています。性質の異なる現象が同時に、しかし別所で発生しているイメージです。いずれも権兵衛るという一個の脳みそ内で行われているとはいえ、冬と夏ではやはり一か所に存在できない気がするといいますか…。